祝 令和元年


子供のころは祝祭日の日には玄関先に本国旗を掲揚したものだけど、最近は少ないですね。久しぶりに今日は令和元年を祝い、家の前に日の丸を掲揚しました。

宮本武蔵の絵??

うちの奥さんは旧家の出で、先日その実家にあるお蔵を取り壊すというので掃除を手伝うことになった。そこには興味深い色んな古いものがあったのだが、中には戦国時代の先祖のだれかが描いた家宝というべき絵も見させてもらった。そして義父の曽祖父の父にあたる、江戸から明治にかけての先祖の人が収集した数十本の掛け軸も埃にまみれてしまってあった。「気に入ったものがあれば、いくつか持っていってもいいよ」と言われたので、面白そうな絵の掛け軸を遠慮なくいただくことした。驚いたのは谷文晁とか狩野探幽とされる作品もあった。しかし私は真贋の判別などできないのだが、おそらくそれらは偽物だと思う。その理由は、そのような有名画家の作品は当時贋作が数多く作られたということ、そして何よりも本物の絵が百年以上お蔵にほったらかしになっていようはずがないからである。

さて私が面白そうだと思い頂くことにした掛け軸のひとつに、与謝蕪村の作とされる絵があったのだが、それは老人が鹿をかわいがっている様子を描いた絵であった。特に鹿の描写が実にユニークで表情も面白いと思ったのである。

もうひとつ興味ある絵は「宮本政名」作とある、男の顔を描いた掛け軸である。強面ではあるが何となくこっけいな感じもあり、また眉、鼻毛、あごひげなどの描き方が良いと思った。いったい宮本政名とは誰だろうとネットでググって見ると簡単にヒットした。どうも宮本政名は宮本武蔵の別の名前のようだ。もちろん武蔵は剣豪で世に知られているが、じつは画家としてもかなり評価されているらしいのである。ではこの何でもない掛け軸は宮本武蔵の作品なのか?今私が手にしているのはあの巌流島で佐々木小次郎を破った宮本武蔵の直筆の絵なのか?そんな風に思うとなんだか武蔵のエネルギーが何百年を隔てて、私の体に流れ込んでくるような不思議な感覚を覚えたのだった。

しかし本当かなあ、絵にある落款(印)をみても武蔵のかどうか判然としない。ひょっとしたら武蔵とはまったく関係ない別人で、たまたま宮本政名という名前の画家が描いたものに過ぎないのかもしれない。仮に武蔵のものだとしても、どうせ贋作に違いないのだ。何故って、私がそんな価値のあるものを手にするような奇特な人間ではないと思うからである。

臓器売買事件

臓器移植に絡む臓器売買の犯罪で医師と関係する暴力団員が逮捕されたという事件があった。ある意味で起こるべくして起こってしまったとも言える。

臓器移植を希望する患者さんたちの数に比べ、臓器移植提供数が圧倒的に少ないというのが根本的問題であり、それが解決されなければこのような忌まわしい事件は今後も起きてしまうだろう。どうしてこういうことになってしまたのか、それは国がとってきた政策に問題がある。

1985年に脳死と臓器移植に関する法律が作られたが、個人的にはこれは歴史上悪法と言える。つまり、当時世界のどの国をみても脳死臓器提供は脳死者本人の意思あるいは遺族の同意があれば認められていた。しかし日本だけは本人の意思のみ、しかも書面で表記されている場合に限るというものであった。ドナーカードを普及させようとするぐらいでは、移植推進のために一生懸命努力しても進むわけがない。

当時多くの国民にとって現実に脳死という考え方が理解できなかったのも事実であるが、脳死を人の死と認めず臓器移植に反対する、いわゆる知識人たちが言いたい放題に脳死移植反対を唱えていたのも、推進を阻んだ大きな理由のひとつでもある。たとえば哲学者の梅原猛あるいはライターの立花隆や作家の五木寛之などが上げられる。

その後2010年にやっと遺族でも提供意思表明による移植を認める改正法が施行されるに至ったが、当然予想されたごとくその間脳死移植は100例にも至らず、これはアメリカ国内で行われる脳死移植が一晩で数十例という事実と比べれば驚きの差という他はない。その反対に日本では、たとえば親からわが子へといった家族内で行う生体移植の比率は90パーセント以上と多く、諸外国とは正反対である。隣の子供が病気になってもあまり感知せず、わが子のことになると狂ったように一生懸命になるという国民性だと非難されても仕方がないだろう。

私はかなり昔から、脳死は人の死であり当然脳死臓器移植に賛成をしてきた。たとえ心臓が動いていても脳の細胞に血液が巡らず、いずれ脳がどろどろになって腐ってしまい、なにも考えることが出来ない状態など死のほかに何があろう。

私自身の意思はと言えば、平成9年ドナーカードを取り寄せ署名して、以来ずっと財布に入れて持ち歩いている。そのためカードは縁がぼろぼろになってしまっているくらいだ(写真)。

USA! コールに沸く米国と不安

あの衝撃的な9.11事件をNHKのニュースでリアルタイムで見ていた時から、早いものでもう10年たった。そしてつい先日5月1日(日本では5月2日だったか)に、そのテロを計画した本人とされるオサマビンラデンが、アメリカ海軍の秘密特殊部隊、「SEALSチーム6」によって殺害された。そのニュースの直後全米が歓喜に沸き立った様子もニュースで流れた。MLBのメッツとフィリーズの試合が行われていた野球場の観客は、携帯のニュースなどでそれを知ったのだろう、やがていっせいにスタンド全体が「USA、USA」コールの嵐となった。気の毒なのは何も知らない選手たちで、ちょうどその時バッターボックスに立った選手は空振り三振となり、ベンチで怒っていたのもテレビで放映されていた。
 ビンラデンの死体の顔写真が現地の新聞やネットなどで流れたが、それが偽造されたものだという情報も数多く出て、結局それは画像ソフトで合成されたものであったらしい。CNNニュースでは、今後アメリカ政府がビンラデンの死体の写真を公表するかどうか検討中であるという。
 しかし素人ながらに疑問に思うことがある。それは、殺害されて後あまりのスピードの速さで死体は海軍によって運び出され、空母カールビンソンにてだびに付したというのである。イラク戦争時のフセイン大統領は生け捕られ、後に絞首刑になったのとはかなり異なる。またビンラデンであることをDNA鑑定で確認したとしていることも本当かなと思う。DNA検査には多少時間がかかるだろうし、そもそも空母カールビンソンでそんな検査が可能なのかということである。
 オサマビンラデンと言えば過去にも重病説が流れたりした。特に腎臓病があり人工透析治療をしているともうわさされていた。しかしニュースで殺害時の状況の一部が写真報道されていたが、明らかな透析機器などはなかったようだ。
 ともあれ、ビンラデンが死亡したことは間違いないだろう。殺害時に救出された親族や他の人たちは確保されているので、やがてそれらの証言でも証明されるだろう。おそらくかなり綿密に計画されたオペレーションであったにちがいない。ただアメリカがアフガンから撤退する計画であること、オバマ支持率が低下していたこと、また直前にウィキリークスが重要な情報を流したことなど、いろんなことが重なってこのタイミングとなったかもしれない。5月1日はヒトラーが死んだ日であり、またメーデーの日でもある。共産主義を嫌うアメリカとなにか関連があるのかもと疑いたくもなる。
 しかし、アルカイダやイスラム原理主義の反抗や新たなテロを起こすのではという不安を生んだことも事実である。アルカイダテロ組織が核攻撃をしかけるかもしれないという最悪のシナリオもアメリカは認識しているようだ。2006年にはアメリカ高官たちが、核によるテロ攻撃があるとの情報から、一斉にワシントンから避難したという事実もあるらしい。そんなことを言えば日本は別の深刻な核問題をかかえているのだが、このうえ原発がテロに見舞われたら、それこそ悪夢中の悪夢になってしまう。

気になる外国語の日本語吹き替え表現

外国人がテレビ番組のインタビューに答え、それを日本語に吹き替えて放送するような番組を見ていると、大いに気になることがある。
 
たとえば「私はそう思います」とか「私は知りません」というように外国人が話しているとすると、それを日本語に吹き替えて、男の場合だと「僕はそう思うよ」とか「俺は知らないさ」など、また女の場合なら「私はそう思うわ」とか「それは知らないわよ」とか吹き替えてしまうことである。
やたら口語調で表現したり、また男女の話し方の差をことさら強調したいと考えているようで、かなりやりすぎだと思えて仕方がない。
この調子だと、たとえばアメリカ西部の昔カウボーイ風のお爺さんが "I don’t know" といったとすると「おらぁ知らねーぜ」とでも変えてしまうだろう。
 
 このような吹き替え表現は民放だけでなく、NHKですら平気でしかもほとんどの場合にやられているようだ。どう考えても、十代の子供か日本語能力が極めて破綻してしまっている一部の若者でもない限り、自分がもし街頭でインタビューされて答える場合を想定しても、そのようなしゃべり方は決してしないだろう。全くふつうに「私はそう思います」とか「私は知りません」と表現すると思う。きっと吹き替えられた本人も不本意に違いないだろう。マスコミ連中が良かれと思ってやっているなら、それは間違いだ。
事実を軽視し話題性ばかりを追求する、報道の基本を忘れたメディアの浅はかさと表現しても、あながち言い過ぎではないような気がする。
 

もっとも最近では男らしさや女らしさを表現する言葉使いもあまり見かけなくなってしまって、日本語の良さが消えてしまうようで少し残念な気もするが….