最近奥さんと映画『英国王のスピーチ』を観た。アカデミー賞など4冠 をもらっただけあって見ごたえがあり、特に奥さんの評価は高かった。私自身も満足したわけだが、少し気になったところがある。それは映画の中と終了後に流れた音楽についてである。
この映画のテーマは吃音に悩むイギリス国王(現エリザベス女王の父)が、必死の努力で克服し、第二次大戦のドイツ空爆開始の直前に歴史的スピーチを成功させるという感動実話に基づいた内容である。
そこで気になったのは何かというと、映画の要所で流れた音楽のほとんどはクラシックだったのだが、違和感を覚えたのがその選曲である。まずモーツアルトのフィガロの結婚序曲、ベートーベン交響曲第7番、それにピアノ協奏曲第5番「皇帝」、モーツアルトクラリネット協奏曲等々である。
映画の中でドイツ軍行進は実写フィルムが使われるが、そこでは国歌ベートーベン交響曲第九「合唱」のメロディである。これは仕方がないとしても、映画の終盤はドイツ軍の空襲が始まろうとする緊迫した状況を表現しているのに、ベートーベンなどのドイツの作曲家の曲が選ばれているということである。なぜイギリスの作曲家の音楽が選ばれていないの?という単純で素朴な疑問を持ったのである。
しかし奥さんの意見は違った。つまり良い音楽は世界普遍のものであるから、誰がどこの国籍だから良い悪いというのは問題ではない、むしろ問題とするのがおかしい、というのである。…なるほど、そう考えれば気にすることもないのだというふうに、結局この件に関しては今では私も気にしていないというところに落ち着いた。
しかし、もう一言付け加えたいことがあるが、それは映画の終了後に流れた曲で、たとえばベートーベンピアノ協奏曲第五番の第二楽章とか、モーツアルトのクラリネット協奏曲第一楽章などはあまりにも有名できれいな曲であり、ただ良い曲を寄せ集めただけという感じがした。それにクラリネット協奏曲に至っては、導入部から曲が流れていよいよクラリネットの演奏が始まるぞ、というまさにそこで終わってしまうのである。何それ、という思いであった。